About Services Pricing Philosophy Products Work Blog Careers Parloir English
← BLOG
business 約5分

左ききのエレンが描けなかったもの

広告代理店の中枢でシステム開発をしてきた12年。「クリエイティブ」と「テクノロジー」を別物だと思っている業界に、ずっと引っかかっていた。

#atelierista#philosophy#advertising#career

好きな漫画の話をする

「左ききのエレン」が好きだ。広告業界を舞台に、天才と凡人の葛藤を描いた稀有な作品。光一の不器用な執念も、エレンの孤独な才能も、胸を打つ。

だが、ずっと引っかかっていることがある。

あの作品は、テクノロジーを「飛び道具」として描いている。

システムは裏方ではない

エレンの世界では、広告とは「コピー」と「ビジュアル」だ。クリエイターとは、言葉と絵で人の心を動かす者のことだ。

サイトを構築する人間、CRMを設計する人間、データ基盤を組む人間——彼らは物語の外にいる。たまに「IT部門」として登場しても、それはクリエイティブの「手段」として描かれるだけだ。

12年間、広告の中枢でシステムをやってきた人間として言わせてもらう。

それは、構造的に間違っている。

同じフロアにいて、外注だった

広告代理店の中でシステム開発をするということは、常に「本流ではない」と言外に言われ続けるということだ。

同じオフィスにいる。同じクライアントの案件をやっている。同じ締め切りに追われている。だが、クリエイティブが「上流」で、テクノロジーは「下流」。企画が先にあり、実装は後から来る。予算が足りなくなると最初に削られるのはシステム開発費で、最後まで守られるのはメディア費とクリエイティブ制作費だ。

社内にいるのに外注と同じ扱い。12年間、そう感じ続けてきた。

会議で発言しても「技術的な話はあとで」と遮られる。提案しても「それはエンジニアの領域でしょ」と返される。お前たちは支援部隊であって、作戦を考える側ではない——誰も口にはしないが、空気がそう言っている。

エレンはこの空気を描かなかった。描けなかったのではなく、見えていなかったのだと思う。

「作る」と「届ける」は同じ仕事だ

代理店の人間は、「クリエイティブ」と「テクノロジー」を別物だと思っている。企画会議で案を出すのがクリエイティブで、それをシステムに載せるのはエンジニアリング。前者が「上流」で、後者が「下流」。

この認識が、業界全体を鈍くしている。

LPを1枚作るにも、CRMのセグメント設計にも、広告のA/Bテスト設計にも、「誰に、何を、どう届けるか」の判断が必要だ。それはコピーを書くことと本質的に同じ仕事だ。言語が違うだけで、やっていることは同じ——人間の行動を設計している。

コードを書ける人間がLPを作れば、ファーストビューの読み込み速度まで設計できる。CRMを組める人間がメール施策を作れば、セグメントの粒度と配信タイミングを一体で設計できる。

届ける手段を知らない人間が「作る」だけをやっているのは、片腕で絵を描いているようなものだ。

天才 vs 凡人という嘘

エレンは「天才は存在する」という前提で物語を組んでいる。光一がどれだけ努力しても、エレンには届かない。それが物語の核だ。

だが現実の広告業界で起きていることは、もっと地味で、もっと残酷だ。

天才的なコピーを書ける人間は確かにいる。だがそのコピーが消費者に届くまでに、サイト設計、CRM設計、データ計測、レポーティング、PDCAの仕組みがいる。天才のコピーが、測定もされずに消えていく現場を何度見てきたか。

逆に、コピーは凡庸でも、ターゲティングとタイミングの設計が完璧なら成果が出る。

天才か凡人かという問いの前に、「仕組みを持っているか」という問いがある。 エレンはそこを描かなかった。

なぜ描けなかったのか

かっぴー先生の取材力と描写力は本物だ。広告業界の空気感、クリエイター同士の嫉妬と尊敬の入り混じる関係性は、経験者でなければ書けない精度で描かれている。

だが、テクノロジーの中にあるクリエイティビティは、外から見えない。コードの美しさ、設計の優雅さ、アーキテクチャの判断——これらは「作品」として目に見える形にならない。広告賞にも、ポートフォリオにも載らない。

だから物語に描かれない。描かれないから、存在しないことになる。存在しないから、代理店の若手は「クリエイティブ」を目指してコピーライターになり、「テクノロジー」は外注するものだと学ぶ。

この循環が、業界を30年間変えていない。

両方を持つ者

12年間、ひとりで全部をやってきた。デザインもコードもインフラも企画も。代理店の中で、クリエイティブとテクノロジーの境界線がないまま仕事をしてきた。

その経験から確信を持って言えることがある。

境界線は最初からなかった。

コードを書くことは、コピーを書くことと同じだ。サーバーを設計することは、メディアプランを設計することと同じだ。どちらも「人間の行動を、意図した方向に動かす」ための設計行為だ。

エレンが天才なのは絵が描けるからじゃない。「見る者の感情を動かす構造」を直感で掴めるからだ。その構造を、コードで実装できる人間がいる。それもまた天才と呼ぶべきだ。

描かれなかった世界

「左ききのエレン」に足りなかったのは、テクノロジーの描写ではない。

「作る」と「届ける」が同じ人間の中に共存している世界の描写だ。

その世界は、漫画の中にはまだない。だが現実には、もう存在している。