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business 約5分

同じ20年、全く違う20年

プレゼンテーション業界で23年間カンファレンスを回した男と、ツールが壊れるたびに乗り換えてきた男。同じ時間を過ごして、辿り着いた場所が違う。

#presentation-design#career#atelierista

23年間、同じカンファレンスを回した男

プレゼンテーション業界に、Rick Altmanという人がいる。

Presentation Summitという世界最大のプレゼン系カンファレンスを23年間主催してきた人物だ。

著書は17冊。

Why Most PowerPoint Presentations Suck というタイトルで本を出せるくらいには、業界での発言力がある。

彼の売りは「デザイン・スピーチ・ブランディングの3領域を横断できること」。

本人も「この3つ全部できる人はそういない」と公言している。

それは事実だと思う。 ただ、一つ気になったことがある。

Microsoftのエコシステム

Altmanは「Microsoftから一切スポンサーを受けていない」ことをカンファレンスのブランドにしている。

独立系。 忖度なし。

だからPowerPointに堂々とダメ出しできる。

だがカンファレンスのスピーカーとヘルプデスクのスタッフは、ほぼ全員Microsoft MVPだ。

直接の金銭スポンサーではないが、Microsoftのコミュニティに完全に依存した構造になっている。

PowerPointがなくなったら、この人の仕事は全部消える。

独立しているように見えて、エコシステムの中にいる。

ツールと一緒に歳を取った20年間だ。

ツールが壊れるたびに

一方で、自分の20年間を振り返る。

Flashで食っていた。クライアントの案件がFlashで回っていた時代がある。ActionScript 3を書いて、モーションを組んで、それなりに稼いでいた。Flashが死んだ。スキルごと消えた。

次はjQueryとレスポンシブデザインで組み直した。スマホが全部変えた。画面サイズの前提が崩壊して、作り方がゼロに戻った。jQueryからReact。サーバーからサーバーレス。覚えたことが使えなくなる周期がどんどん短くなる。

そしてAI。今度はコードを書く行為そのものの前提が変わった。

技術の地盤が根本から変わる瞬間を、少なくとも4回はくぐっている。

44歳前後の世代は、たぶんこの変化をもっとも多く体験した世代だ。インターネットの黎明期を10代で触り、Flash全盛期を20代で駆け抜け、スマホ革命を30代で渡り切り、AIを40代で掴んだ。

ツールが安定していた時代を知らない。だから一つのツールに依存する発想がそもそもない。

「3領域横断」の意味

Altmanの「3領域横断」は確かにすごい。

デザインもスピーチもブランディングも語れる。

だがその3つは全部、既存の枠の中の話だ。

どう作るか。 どう見せるか。

どう届けるか。 全部「How」の問い。

ツールとテクニックの層で完結している。

20年間ツールが安定していたから、「How」を極められた。

それは正しい生存戦略だった。

壊れた先で考えること

ツールが壊れるたびに乗り換えてきた人間は、「How」の先を考えるようになる。

どのツールを使っても変わらない本質は何か。

フォントもレイアウトもアニメーションもツールに依存する。

でも「このアイデアをどんな空気で届けるか」という問いは、ツールに依存しない。

PowerPointでもKeynoteでもFigmaでも、問いは同じだ。

ツールが壊れるたびに、ツールに依存しない層が削り出されていく。

変化そのものが、思考の筋トレだった。

2025年、二つの風景

Altmanは2025年、23年続いた対面カンファレンスをバーチャルに移行した。参加者が減ったからだ。

23年間守ってきた箱が、外圧で形を変えた。

同じ2025年、自分はAIを使ったプレゼンテーション生成パイプラインを組んでいた。PowerPointのフォーマットを出力に使いつつ、Microsoftの思想には一切依存しない仕組みだ。HTMLで設計して、AIで変換する。ツールの外側からツールを使う構造。

同じ時代を過ごして、片方は変化に押され、片方は変化を道具にした。

これは能力の差ではない。鍛えられ方の差だ。

問いの構造が変わる

Altmanの20年は「既存の枠の中で、誰よりも上手くやる」20年だった。23年間カンファレンスを回し続けるのは、並大抵のことではない。

だが「どう作るか」「どう見せるか」「どう届けるか」——この問いの構造そのものは、23年間変わっていない。全部「How」だ。

ツールが壊れるたびに乗り換えてきた人間は、問いの構造が変わることに慣れている。Flashが死んだとき、「別のアニメーションツールを探す」ではなく「そもそもアニメーションは必要か」と考えた。スマホが来たとき、「画面を縮小する」ではなく「画面という前提を疑う」から入った。

だからAIが来たとき、「AIにスライドを作らせる」ではなく「スライドという形式はまだ必要か」と考えた。

Howが変わるのではない。Whatが変わる。 それに気づけるかどうかは、過去にWhatが変わった経験があるかどうかで決まる。

安定の中で磨かれた20年は、Howの精度を極限まで上げた。変化の中で鍛えられた20年は、Whatを問い直す筋力を育てた。

次の20年は、Whatを問い直す側のゲームだ。 Howはもう、AIが片付ける。