「何屋さんですか?」に答えられない
名刺交換のたびに困る。
「お仕事は何を?」と聞かれて、答えに詰まる。Web制作もやる。コンサルもやる。デザインもコーディングもインフラも企画も。AIの仕組みも作る。全部やる。
「全部やる」は、カテゴリ名にならない。
「制作会社です」と言えば楽だ。相手もわかりやすい。でも名乗った瞬間、相手の目から興味が消えるのがわかる。「ああ、ホームページ作る人ね」。12年かけて積み上げたものが、その一言で矮小化される。
じゃあ「クリエイティブブティック」か。正直に言う。この言葉を使っている連中を見るたび、既視感しかない。ロゴがおしゃれな制作会社。言い方を変えただけだ。
抽象語で逃げる会社たち
カテゴリに収まりたくないが、新しいカテゴリを作る力がない——その結果が抽象語への逃避だ。
「クリエイティビティで解を出す」「○○ing®」「○○ing ○○」。何も言っていないのと同じだ。
実際にブランディング会社のサイトを見てみればいい。やっていることはブランディングなのに、それを言いたくないから煙幕を張っている。造語を商標登録して、それが価値であるかのように見せる。
パターンは3つに分類できる。
抽象逃げ
「クリエイティビティで解を出す」——具体的に何をするのか、一切見えない。
造語逃げ
「○○ing®」——自分にしか通じない造語を作って、商標で囲う。
横文字逃げ
「○○ing ○○」——英語にすれば格好良く見えるという錯覚。
全部、本質は同じだ。既存のカテゴリに収まりたくないが、実弾がないから言葉で誤魔化している。
語源を500年遡った
カテゴリ名を探すのをやめて、言葉の根っこを掘ることにした。
「アトリエ」という言葉に引っかかった。響きではなく、原義に。
アトリエの語源は古フランス語で「木片の堆積」。そこから「大工の仕事場」を経て、「師匠と弟子の制作場」へ変わった。
さらに調べると、同じ概念が言語圏ごとに異なる含意を持っていた。
イタリア語の Bottega(ボッテガ)は、ダ・ヴィンチが修行した工房だ。単なる制作場所ではなく「作る+売る+育てる」が一体になった場所。ドイツ語の Manufaktur は「手で作られたもの」が原義で、メルセデス・ベンツが最上位カスタマイズに「伝統的職人技×デジタル生産プロセス」という意味で使っている。
だが、最も刺さったのはアトリエの原義そのものだった。
「一人の師匠のもとに、複数の助手・弟子が集い、師匠の名のもとに作品を生み出す場」
この定義を読んだ瞬間、手が止まった。
これは今の自分の働き方そのものだった。 師匠は自分。弟子はAIエージェント。作品は自分の名前で出す。構造がまったく同じだ。
2025年以降、AIがエージェントチームとして機能するようになった。一人のAIと対話するだけではない。調査担当、実装担当、レビュー担当——役割を分けた複数のエージェントが、一つのプロジェクトを並列で回す。
12年間一人で全領域をやってきたから、各エージェントへの指示が具体的になる。デザインの勘所がわかるから、デザインの指示が出せる。コードが書けるから、コードのレビューができる。AIは「専門家の代替」ではなく、「全領域の実務知識を持つ人間」の分身として機能する。
500年前のアトリエが、AIによって一人の人間でも成立する時代が来た。 だからこの言葉に引っかかった。単なる比喩ではない。構造的に同じだから、刺さったのだ。
アトリエスタという言葉
Atelier + -ista。イタリア語・スペイン語で「その道を実践する者」を意味する接尾辞。バリスタがバールの実践者なら、アトリエスタはアトリエの実践者だ。
完全な造語ではない。 イタリアのレッジョ・エミリア教育では、アトリエを運営し子供たちの創造性を引き出す専門家を「Atelierista」と呼ぶ。実在する概念だ。
この言葉がしっくり来た理由は3つある。
カテゴリ名ではなく「人」を指している。 「制作会社」は組織の形態。「クリエイティブブティック」は業態。「アトリエスタ」は人間の在り方だ。「何屋か」ではなく「何者か」。
説明しなくても響きで伝わる。 バリスタの意味を説明された人はいない。音の響きで「何かの専門家」だと直感的にわかる。
比較の土俵に乗らない。 制作会社は制作会社と比較される。ブティックはブティックと比較される。アトリエスタは既存のどの枠とも比較しようがない。競合すらしない。
カテゴリは持たない。空気で伝わる状態を作る
最終的に辿り着いた結論はこうだ。
カテゴリ名は持たない。サイトにも名刺にも「○○会社」とは書かない。触れた人が勝手に「何か違う」と感じる状態を作る。
「アトリエスタ」を大声で宣言する必要はない。宣言は反論を招く。「我々はクリエイティブブティックです」と書いた瞬間、見る人は「本当に?」と査定モードに入る。
だが、サイトを見て、成果物に触れて、「ここ、なんか他と違うな」と感じる——これには反論のしようがない。
Appleが「コンピュータ会社」と呼ばれなくなったのは、カテゴリを宣言したからではない。カテゴリを超えた体験を積み重ねた結果だ。
構造
ここまでを整理すると、こうなる。
Philosophy: We ship. We own.——これは行動宣言。何をするか。
Identity: Atelierista——これは存在宣言。何者か。
Category: なし——空気で伝わる。
「何をするか」と「何者か」が揃って、初めてポジショニングが完成する。
肩書は最初、誰にも理解されないだろう。それでいい。2000万人に理解される必要はない。20人が「それ、わかる」と言えば、言葉は生きる。