鍵がない
最近、鍵をどこに置いたか思い出せない。財布もだ。3ヶ月前まではこんなことなかった。
1日14時間、AIと仕事をしている。コードを書き、企画書を作り、クライアントに提案し、インフラを組む。朝から晩まで、ノンストップで意思決定している。
でも判断は鈍っていない
14時間働いた翌日、同じ集中力で仕事に入れる。設計判断もクライアントの温度感の読みも、精度が落ちている感覚はない。
落ちているのは、鍵と財布の記憶だけだ。
仕事の判断力は健在。日常の短期記憶だけが消えている。
矛盾しているように見える。でも、これには構造がある。
脳がトリアージしている
救急医療に「トリアージ」がある。限られた医療リソースを、命に関わる患者に集中させる仕組みだ。軽症は後回し。
脳が同じことをやっている。
14時間の意思決定連打の中で、脳は無意識にリソース配分を変えている。「この設計判断は重要」「クライアントの一言は聞き逃すな」には全帯域を割く。「鍵をどこに置いたか」は切り捨てる。
判断に全帯域を振り、記録を捨てている。
意識的にやっているわけではない。脳が勝手にやっている。
外部記憶の穴
面白いのは、仕事の記憶はそこまで落ちていないこと。
会議はGoogle Meetで繋ぎ、GeminiがMeet上で文字起こしをしている。さらにローカルではGranolaが同じ音声を拾い、独自に全文を書き起こす。二重に走っている。だから会議中、脳は「覚える」にリソースを使わない。どの方向で着地させるか、意思決定だけに集中している。議事録がないと死ぬ。でも議事録がある限り、判断の質は落ちない。
AIとの作業も同じだ。メモリシステムが文脈を保持する。セッションを跨いでも、前回どこまで進んだかを覚えているのは脳ではなくシステムだ。
記憶を外部に逃がせている領域は、問題ない。
鍵と財布だけが落ちているのは、そこに受け皿がないからだ。外部記憶がない場所だけが、トリアージで切り捨てられている。
向き不向きの正体
「AIを使った仕事で急性の脳疲労が出る」という話を見かけた。
わかる。ただ、全員が同じ壊れ方をするわけではない。
向いている人間は、脳がトリアージできる。
重要な判断と些末な記憶を無意識に仕分けて、判断側にリソースを集中させる。些末な方は捨てるか、仕組みで拾う。
向いていない人間は、全部を同じ優先度で処理しようとする。判断の質も記憶も両方落ちる。「AIを使っているのに前より疲れる。しかも生活もボロボロ」。これが脳疲労の正体だと思う。
この耐性は、たぶん訓練で身につく。12年間ひとりで全領域を回してきた脳は、高負荷の意思決定にすでに最適化されている。ベンチプレス100kgが日常の人間は、14時間やっても「ちょっと腕がだるい」で済む。初心者が同じことをしたら壊れる。
もう一つの条件
トリアージだけでは足りない。
切り捨てた記憶を拾う仕組みを、自分で設計できるかどうか。
会議の記録をツールに任せる。AIとの文脈をシステムに持たせる。意思決定の履歴を外部メモリに書き出す。仕事の記憶は、仕組みで全部拾える。
鍵と財布は、まだ仕組みがない。だからそこだけ露出する。
「短期記憶が落ちた」のではない。「外部記憶の設計に穴がある」だけだ。
認知負荷の時代に必要なのは、強い脳ではない。脳の限界を前提にした、記憶のアーキテクチャだ。