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business 約5分

スライドの見た目に拘る、本当の理由

きれいに作りたいのではない。20年間、資料を作り続けて気づいた、デザインの奥にあるもの。

#presentation-design#branding#atelierista#pptx

「そこ、そんなに時間かける?」

提案書のデザインに異常に時間をかける、と言われることがある。

フォントのウェイト。 余白の数ピクセル。

色のトーン。

相手には違いがわからないだろう、と思われている。

正直、比べなければわからない程度の差だ。

だが20年間、資料を作り続けてきた実感として一つだけ断言できることがある。

中身が同じなら、見た目で勝負が決まる。

では「見た目」とは何か。

この問いに答えるのに、ずいぶん時間がかかった。

ツールの進化は「どう作るか」だった

PowerPointの本当のブレイクスルーは、スライドを作れるようになったことではない。

非デザイナーが、ワープロレベルの会議資料から卒業できたことだ。

1990年代、会議資料はWordで作られていた。

文字の羅列。 箇条書き。

PowerPointが登場して、図を置ける、色を変えられる、レイアウトを選べるようになった。

ツールの民主化。

KeynoteはそのPowerPointを、UI観点で人間に寄せた。

テンプレートの美しさ、アニメーションの滑らかさ、操作の直感性。

やることは同じなのに、体験が違う。

ただ、どちらも解いている問いは同じだ。

「どう作るか」。

見せ方の先にあるもの

ツールの上に、テクニックの層がある。

Nancy Duarteの Slide:ology はスライドデザインの教科書になった。

Garr Reynoldsの Presentation Zen は禅の思想をプレゼンに持ち込んだ。

ストーリーテリング、データビジュアライゼーション、ナラティブ構成。

「どう見せるか」の技術は、この20年で大きく進化した。

だがSteve Jobsのプレゼンテーションが圧倒的だった理由は、見せ方ではない。

何を捨てるか。

1スライド1メッセージ。

文字は最小限。 数字すら削る。

伝えるために、より深く本質を伝えるために、何を残して何を捨てるか。

その判断が異常に研ぎ澄まされていた。

Duarteは「どう見せるか」を体系化した。

Reynoldsは「余白の意味」を語った。

だがJobsの「何を捨てるか」は、誰も再現できなかった。

天才の直感だったからだ。

ある提案書の話

数年前、ある新規事業の提案書を作っていた。

内容は固まっている。 ロジックも数字も揃っている。

あとはスライドに落とすだけ。

なのに手が止まった。

このアイデアは、既存事業の延長に見えてはいけない。

革新性を感じさせる空気が必要だ。

でも奇抜すぎれば経営層の信頼を失う。

堅実さの中に、一つだけ鋭いビジュアルを入れる。

それだけで「この人は考えている」と伝わる。

手が止まった理由がわかった。

デザインを考えていたのではない。

このアイデアが、どんな空気をまとって届くべきかを考えていた。

ダサいテンプレートの修練

この感覚は、ある種の修練の結果だと思う。

所属している会社のテンプレート。

一次受けの大手のテンプレート。

使うフォントまで指定される。

色はコーポレートカラーの3色だけ。

余白の自由もない。

ダサい。 だがそれを使うしかない。

その制限の中で、伝わる資料を作らなければならない。

どう足掻いてもテンプレートの制約でダサくなる。

それを、自分として許せるギリギリのMAXまで持っていく。

フォントは変えられない。

でもウェイトは変えられる。

色は増やせない。 でも濃淡の使い方で印象は変わる。

レイアウトは固定。 でも情報の密度で呼吸は作れる。

制約があるほうが、工夫の解像度は上がる。

これを何年も繰り返した。

数えきれないほどの提案書で、数えきれないほどの「ダサいけど許せるMAX」を探し続けた。

だから今、自社プロダクトの資料を作るのが楽しい。

制限がない。 全力で振れる。

制約の中で鍛えた解像度が、自由な環境で全部使える。

きれいに作りたいのではない

これはデザインの問題ではなく、ブランディングの問題だった。

アイデアそのもののブランディング。

そのアイデアが世に出るときに、受け手がまだ中身を読む前に感じる「空気」。

信頼できそうか。 新しそうか。

自分ごとに感じるか。

スライドを開いた瞬間に、言葉の手前で伝わるもの。

きれいに作りたいのではない。正しい空気で届けたいのだ。

スライドの見た目に拘る理由は、ここにある。

フォントのウェイトも、余白の数ピクセルも、色のトーンも。

全部、空気を作るための素材だ。

Ken Segallがやっていたこと

Apple時代のKen Segallの仕事を調べていて、腑に落ちた。

SegallはJobsの広告を作った人間だ。

iMacの名前を考え、Think Differentのコピーを書いた。

だが彼の本質的な仕事は、広告制作ではなかった。

Jobsの哲学を、文化に着地させること。 「i」という一文字が、インターネット時代の接頭辞として文化に定着した。

Think Differentという3語が、Appleを「コンピュータ会社」から「創造性の象徴」に変えた。

Segallがやっていたのは、アイデアと文化のあいだを繋ぐ仕事だった。

ただし、それはJobs専属の属人的な関係の中でしか成立しなかった。

Jobsが去り、Segallの役割も消えた。

仕立てという言葉

最近、この「アイデアと文化のあいだを繋ぐ」行為を何と呼ぶべきか考えている。

既製品のテンプレートで作られたスライドは、量販店のスーツだと思う。

体に合っていない。

どこかが余り、どこかが窮屈で、着ている人の存在感が消える。

一方で、相手の文化的コンテキストを読んで、空気を設計して、一から仕立てるスライドがある。

オートクチュールのアトリエで、一着の服が仕立てられるように。

情報を整理してきれいにするのがデザインだとすれば、アイデアが世に出るときの空気を仕立てるのは、まだ名前がついていない仕事だ。

ツールは揃った。 見せ方の技術は体系化された。

何を捨てるかの哲学はJobsが示した。

だが「そのアイデアを、どんな空気で文化に届けるか」。ここに、まだ誰も体系的に取り組んでいないように見える。

少なくとも、プレゼンテーションの世界では。

20年間、言葉にできなかった「拘り」の正体が、ようやく見えてきた気がする。