Overview
最先端のAIの話をしに行く。相手の目は輝いている。数週間後、届く発注書にはこう書いてある。「パワーポイントの自動生成」。
今月、また来た。これで立て続けに3件目だ。
3件続けば偶然ではない。構造だ。そしてこの構造の根は、思ったより深いところにあった。
PPTXは日本企業の「API」
なぜ全部パワポに落ちるのか。
日本の企業では、稟議も、報告も、共有も、意思決定も、すべてスライドで動く。PPTXは書類フォーマットではなく、組織の意思決定プロトコルそのものだ。
だからAI活用の第一歩が、全部そこに落ちる。会社の中で価値が流れる場所にAIを差し込もうとするのは合理的だ。発注する側は、何も間違っていない。
間違っているのは、その川の形のほうだ。
サラリーマンにも、創造性はある
断言する。
サラリーマンだって、クリエイティブなはずだ。人間だもの、多少の創造性はある。
それをMicrosoftが殺してきた。この30年。そう思う。
箇条書きのテンプレート。決まったレイアウト。スライドマスターという名の檻。表現の上限が自分の外側で決められている書式の中に、思考を流し込み続けた30年だ。
この告発は新しくない。Edward Tufteは2003年、「The Cognitive Style of PowerPoint」で同じことを書いた。箇条書きは論理の連なりを切り刻む、と。スペースシャトル・コロンビア号の事故調査では、致命的なリスク情報がスライドの入れ子の箇条書きに埋もれていたことが指摘された。Amazonは会議からスライドを追放し、6ページの文章に置き換えた。
形式が思考を規定する。2003年の時点で、すでに書かれていたことだ。
告白
ここで白状しなければならないことがある。
そのパワポを、AIで自動生成するパイプラインを作ってきたのは、他ならぬ自分だ。
HTMLで設計し、AIで変換し、PowerPointの仕様に負けないための後処理を発明した。角丸は無視される。背景は消える。フォントは裏切る。その一つずつに対策を打ち、たぶん相当うまくやったほうだと思う。
だが、ある夜気づいた。
死んだ形式の量産を、速くしていただけだ。
殺された創造性は、自動化しても蘇らない。効率化は減算のゲームで、どれだけうまくやっても下限はゼロ。価値の上限が、始める前から決まっている。
忘れられない仕事
一方で、忘れられない仕事がある。
ラグジュアリーウォッチブランドのキャンペーンで、AIを使い、人が自分の姿のままブランドの世界に入る体験を作った。CEOが、自分の姿で塗り替えられた映像を見た瞬間の顔。あれは効率化では絶対に届かない場所だった。
あのとき確信した。
AIの素晴らしさは、エンターテイメントの方向にある。人を楽しませる。驚かせる。それが、AIによる人間の創造性の拡張につながる。
創造は加算のゲームだ。存在しなかったものが生まれる。上限がない。
30年への返答
AIは、パワポの量産を速くする道具にもなれば、殺された創造性を蘇らせる道具にもなる。どちらに使うかは、作る側が選べる。
だから、これからも発注書に「パワポ」と書かれた仕事は来るだろう。それは受け止める。仕組みが回す。
だが、作り手としての返答は決めた。楽しませる。驚かせる。人間の創造性は、そちら側でしか拡張しない。
30年かけて殺されたものを、これから取り返しに行く。